延長25回の当事者、明石中学の投手
楠本保
中田武雄
ですが、
明石中学
慶応大学(楠本が一浪にてここで同級生に)
大正興行(就職先)
と人生で3度、同じ釜の飯を食います。どちらかが誘ったのかもしれませんが、まぁ巡りあわせですね。
その一方で、甲子園球児時代に剛腕だった楠本が、大学では外野手に転向したのに対し、中学時代は第二投手だった中田は、大学でも投手を続けて活躍する(大学時代に12勝を記録)というのも、違った意味で巡りあわせですね。
加えて、2人とも戦死してしまうのですが、それも1日違いです(1943年7月22日と23日)。
ここまでくると、もう「宿命」ですね。